名もなき店の片隅で

キラキラと華やかな街の中を、

僕はひとりトボトボ歩いていた。


今日、手酷い失恋をした。

永遠だと思っていたあたたかい腕も、

やさしく僕に囁きかける甘い声も、

まっすぐ僕に向けられていた視線も、

少し照れたようにはにかんだ微笑みも、

みんな、みんな、失くしてしまった。

帰る場所なんてない。

行く宛てなど、どこにもない。


ひとり、彷徨い続ける僕を誘うように、

ほのかな灯りとやわらかな音楽がもれてくる。

ふと足を止めると、

通りに面した窓から楽しげな光景が見てとれた。

今はもっとも近づきたくないシーンのはずなのに、

僕はフラリと店のドアを開け、

その中へと吸い込まれていった。

まるでそうすることが、

もっとも自然だとでも言うように。


「いらっしゃいませ」


と言ったその声は、僕を歓迎するかのように響き、

心にポワンと、小さな灯りをともした。

さほど広くない店内には、不揃いなテーブルと椅子がある。

アンバランスなようでいて、絶妙にしっくりくるバランス。

まるで、互いの個性を認め、尊重し合うかのようだ。

僕たちも傍目にはアンバランスだったのだろう。

けれど、こんな風に寄り添えると思っていた。

信じていた。

昨日までは。僕だけは。


所在なさげにしている僕に、

キレイな涙色のカクテルが差し出される。

驚いてカウンターの中に視線を投げると、

「ウエルカムドリンクです」

と、その人は微笑んだ。


(泣いてもいいんだよ)

そう言われた気がして、僕は静かに涙を流した。

見知らぬバンドが奏でるJazzに揺れながら。

こぼれ落ちる涙を拭いもせず、

ゆるやかに更けていく夜に寄り添いながら。






朗読/空閑暉

ストーリー/いとうかよこ

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